上伊那の教育に関わる情報を発信します

MENU

哲学研修委員会

  • HOME »
  • 哲学研修委員会

2024.7.30 夏期講習会(1日目) ~夏は、哲学!~

今年も脳みそに汗をかく。哲学漬けの二日間がやってきました。
1日目は、「純粋経験」、「考究の出立点」、「意識現象が唯一の実在」、「実在の真景」、「真実在は常に同一の形式を有(も)っている」という内容の読み合わせをしました。

レポーターのみなさんが、自分なりに「西田哲学」を考察し、普段向き合っている児童の姿の具体例をあげて発表します。おかげで難解な「西田哲学」がすこしだけわかりやすくなり、すこし身近に感じることができます。その解釈が合っていなくても、ご意見番の唐澤正吉先生や講師の松本啓二朗先生に後でしっかりと教えていただけるので心配はありません。

「経験するというのは事実そのままに知るの意である。全く自己の細工を棄てて、事実に従うて知るのである。純粋というのは、普通に経験といっているものもその実は何らかの思想を交えているから、毫も思慮分別を加えない、真に経験そのままの状態をいうのである。」・・・。う~ん・・・・。それでもやはり難しい「西田哲学」でした。

2024.7.31夏期講習会(2日目) ~学力について考えてみる~

2日目は、「真実在の根本的方式」のところを読み合わせました。

「導く主体(教師)と導かれる主体(児童生徒)。これが学校。子どもたちが同窓会で再会したときに、教育を終えたときの大きな統一がある。これは連続している。」とは、松本啓二朗先生の言葉。
学校教育の現場に結びつけて話をしてくれると、とたんに難解だった「西田哲学」の理解が進みます。

午後は、松本啓二朗先生による講演会でした。題して、「学力について考えてみる」です。

個々でいう学力とは、学校教育法で示されている「基礎的な知識・技能、思考力・判断力・表現力等の能力、主体的に学習に取り組む態度」である。「思考」、「主体」、「力」という観点から考察してみると・・・。
・力そのものは存在しない。捉えるものと、観察するものがあって初めて存在する。
・学力そのものは存在していない。学力とは、社会的実践的な文脈の中で見いだされたもの。つまり可能性のこと。
・知(基礎的知識、思考力)と情意(主体性)は人間の活動において分離することはできない。数値ではかれるのは物体のみである。
・「学力」とは、受験制度の中で見いだされた可能性に過ぎない。

最後に松本先生はこうおっしゃっています。
「これは、あくまでも哲学的な考察です。役に立つ話ではない。教育基本法という表面上定められたことに従っていても、自分自身で疑問を持ち考えることは大事です。もちろん従わなければいけないけれども、やはり、自分の頭で考えることが大事。物事を考え直すきっかけが哲学です。」

唐澤正吉先生のお話

「教育は時流に乗ると忘れ去られる。時流を超えた教育とは何か?西田哲学が50年くらい経たときの評価を知りたいな。日々忙しい。そんな日々からはなれて、時流の自分を見る。言葉に表せないのが本当の経験。今日の感想発表で、若人の感想では、西田の伝えたいことをまさに感じ取ってくれていた。情意として残っている事がうれしくて仕方がない。これが100年といわず150年続いてほしい。」


以下、事前読み合わせ会の記録を綴った、夏期講習だよりです。是非お読みください。

2023.7.30 夏期講習会(1日目) ~夏は哲学!~
1日目は、第1章「純粋経験」、第2章「思惟」、第3章「意思」のテキストの読み合わせを行いました。とても難解な「西田哲学」ですが、大阪教育大学教授の松本啓二朗先生を講師として、解説していただきながら理解を深めることができました。

レポーター発表。「子どもたちが本物に触れた時、目に見える変化があった!」。
西田先生曰く、「判断が漸々に訓練せられ、、その統一が厳密になった時には全く純粋経験の形になるのである。」まさにこの状態だったのではないか。

レポーターの発表を受けて、グループ討議を行った後に、松本先生から解説をしていただきました。

生の演奏に、生の歌声。講堂内に「仰望」が響き渡りました。

哲学に浸りこむ参加者の皆さん。テキストの文字とにらめっこ。う~ん、難しい。

2023.8.1 夏期講習会(2日目) ~哲学は何のために~
午前は、第4章「知的直観」のテキストの読み合わせを行いました。
「この第4章が一番読みやすかったのではないでしょうか」と松本先生はおっしゃいましたが、実際はどうだったのでしょうか?

午後は、「哲学は何のために」と題して、松本先生の講演会が行われました。
テキストの読み合わせより、松本先生の講演会が一番わかりやすかったように思います。

「哲学とは何だろう?」。古代ギリシアでは哲学のことを「フィロソフィア」と言ったそうです。直訳すると、「知恵を愛し求める」。哲学を学ぶためには古典を読むといいそうです。

古典は、世界や人生の問題を全体的に扱うからです。そして、世界や人生に対する考え方が変わっていくことになります。

最後に松本先生から。
「哲学を学ぶことで、教養を深め、自己を高めてほしい。
「仰望」という言葉も同じことを言っている。あこがれる人物像に高みを投影し、近づいていきたいという気持ちがある。西田哲学の知と意のように、知識だけでは仰ぎ見ることにはならない。その人に近づこうという意思がないと近づこうとしない。
子どもたちに仰ぎ見られる存在に。教員として自分を高めていくことが大事。」

事前の読み合わせから今日まで、ご指導いただいた唐澤先生。
「若い先生と学べたことに感謝。松本先生という一流と学べたことに感謝。
チコちゃんは言った。雑草とは望まれないところに生えるすべての草。
しかし、牧野富太郎さんは言う。世の中に雑草という草は無い。1つ1つの草には名前がある。名を呼ぶことが礼儀ではないか。私は、「人」と「雑草」が重なりハッとした。どんな植物も、どんな子に対しても和顔愛語で接していたかな?牧野先生のような、命を愛する認識。我が子のように、我が事として共振共鳴できる。
最後に、子どもと出会い、向き合い、感じて、ともに歩く教師の道。苦労と感じず共に歩く。」

以下、事前読み合わせの記録を綴った、夏期講習だよりです。こちらも併せて、是非お読みください。

2022.7.29 夏期講習会(2日目)

2日目は「戦争と西田幾多郎ー詩人的にこの地上に住むー」と題して、西田幾多郎(1870-1945)の生涯をたどりながら、西田幾多郎が残した歌(短歌)や日記を紹介していただきました。

「西田がどういう人間だったか知っておいてほしい。戦後77年。我々はいかにこの地上に住むべきか?どのような大地を子孫に残せるだろうか?」

秋富先生には20年以上、上伊那で夏期講習の講師をしていただきました。秋富先生にとっては、今年で最後の夏期講習会となりました。いままで、たくさんのことを教えていただきありがとうございました。

2022.7.28 夏期講習会(1日目) 

この講習会の前身は、西岸寺講習といい、昭和23年、上伊那教員の「哲学を学びたい」という燃えるような向学心から自発的に発足し、今では上伊那教育会の伝統行事になっています。講習会は、難解な西田哲学を読み合わせたあと、先生方の教育現場に西田哲学をひきつけたレポートの発表をもとに討論を行います。「哲学的な対話」から「教育現場あるある」まで、話し合う内容はグループごとにさまざまですが、秋富克哉先生(京都工芸繊維大学)、松本啓次朗先生(大阪教育大学)、唐澤正吉先生(元高遠中学校校長)を助言者として、難解な部分の解説をしていただきながら、1日中西田哲学にひたり、自分自身に向き合うことができました。

西田のいう「純粋経験」って何だろう?

「我々は知を尽くし意を尽くしたる上において、信ぜざらんと欲して信ぜざる能わざる信念を内より得るのである。」難解な西田哲学に向き合う先生方。

2022.7.5 R4夏期講習だより第5号

R01夏期講習だより第1号

R01夏期講習だより第2号

哲学レポ②(両小野小_松崎)

哲学レポ②_箕輪北小_安田)

哲学レポ①(南箕輪小_関)

お気軽にお問い合わせください。 TEL 0265-72-3416

PAGETOP
Copyright © 公益社団法人 上伊那教育会 All Rights Reserved.
Powered by WordPress & BizVektor Theme by Vektor,Inc. technology.