2023.7.30 夏期講習会(1日目) ~夏は哲学!~
1日目は、第1章「純粋経験」、第2章「思惟」、第3章「意思」のテキストの読み合わせを行いました。とても難解な「西田哲学」ですが、大阪教育大学教授の松本啓二朗先生を講師として、解説していただきながら理解を深めることができました。
レポーター発表。「子どもたちが本物に触れた時、目に見える変化があった!」。
西田先生曰く、「判断が漸々に訓練せられ、、その統一が厳密になった時には全く純粋経験の形になるのである。」まさにこの状態だったのではないか。
レポーターの発表を受けて、グループ討議を行った後に、松本先生から解説をしていただきました。
生の演奏に、生の歌声。講堂内に「仰望」が響き渡りました。
2023.8.1 夏期講習会(2日目) ~哲学は何のために~
午前は、第4章「知的直観」のテキストの読み合わせを行いました。
「この第4章が一番読みやすかったのではないでしょうか」と松本先生はおっしゃいましたが、実際はどうだったのでしょうか?
午後は、「哲学は何のために」と題して、松本先生の講演会が行われました。
テキストの読み合わせより、松本先生の講演会が一番わかりやすかったように思います。
「哲学とは何だろう?」。古代ギリシアでは哲学のことを「フィロソフィア」と言ったそうです。直訳すると、「知恵を愛し求める」。哲学を学ぶためには古典を読むといいそうです。
古典は、世界や人生の問題を全体的に扱うからです。そして、世界や人生に対する考え方が変わっていくことになります。
最後に松本先生から。
「哲学を学ぶことで、教養を深め、自己を高めてほしい。
「仰望」という言葉も同じことを言っている。あこがれる人物像に高みを投影し、近づいていきたいという気持ちがある。西田哲学の知と意のように、知識だけでは仰ぎ見ることにはならない。その人に近づこうという意思がないと近づこうとしない。
子どもたちに仰ぎ見られる存在に。教員として自分を高めていくことが大事。」
事前の読み合わせから今日まで、ご指導いただいた唐澤先生。
「若い先生と学べたことに感謝。松本先生という一流と学べたことに感謝。
チコちゃんは言った。雑草とは望まれないところに生えるすべての草。
しかし、牧野富太郎さんは言う。世の中に雑草という草は無い。1つ1つの草には名前がある。名を呼ぶことが礼儀ではないか。私は、「人」と「雑草」が重なりハッとした。どんな植物も、どんな子に対しても和顔愛語で接していたかな?牧野先生のような、命を愛する認識。我が子のように、我が事として共振共鳴できる。
最後に、子どもと出会い、向き合い、感じて、ともに歩く教師の道。苦労と感じず共に歩く。」
以下、事前読み合わせの記録を綴った、夏期講習だよりです。こちらも併せて、是非お読みください。
2022.7.29 夏期講習会(2日目)
2日目は「戦争と西田幾多郎ー詩人的にこの地上に住むー」と題して、西田幾多郎(1870-1945)の生涯をたどりながら、西田幾多郎が残した歌(短歌)や日記を紹介していただきました。
「西田がどういう人間だったか知っておいてほしい。戦後77年。我々はいかにこの地上に住むべきか?どのような大地を子孫に残せるだろうか?」
秋富先生には20年以上、上伊那で夏期講習の講師をしていただきました。秋富先生にとっては、今年で最後の夏期講習会となりました。いままで、たくさんのことを教えていただきありがとうございました。
2022.7.28 夏期講習会(1日目)
この講習会の前身は、西岸寺講習といい、昭和23年、上伊那教員の「哲学を学びたい」という燃えるような向学心から自発的に発足し、今では上伊那教育会の伝統行事になっています。講習会は、難解な西田哲学を読み合わせたあと、先生方の教育現場に西田哲学をひきつけたレポートの発表をもとに討論を行います。「哲学的な対話」から「教育現場あるある」まで、話し合う内容はグループごとにさまざまですが、秋富克哉先生(京都工芸繊維大学)、松本啓次朗先生(大阪教育大学)、唐澤正吉先生(元高遠中学校校長)を助言者として、難解な部分の解説をしていただきながら、1日中西田哲学にひたり、自分自身に向き合うことができました。
西田のいう「純粋経験」って何だろう?
2022.7.5 R4夏期講習だより第5号